大阪では… ①
私が、子どもの頃に住んでいた家は長屋。
三畳と四畳半の家に、
家族6人が住んでいた。
祖母(奄美人)とも同居だった。
建物は古い長屋で、
雨が降れば雨漏りはするし、
ちょっとした大雨が降ると、
直ぐに床下浸水するような所だった。
それらも厄介だったけど、
度重なる床下浸水のせいか
押し入れの床が抜けた時は、
本当に困った。
お風呂は、近くの銭湯へ…
銭湯でのエピソードだけでも
沢山あるので💦
その事はまたの機会に
書き出してみる^^;
隣には、
いつも 三線を弾いてるオジちゃんがいた♪
裏には、祖母の妹(奄美人)が住んでいた。
近所は、親戚(奄美人)だらけだった。
私の幼なじみのお母さんも奄美の人。
しかも、うちと同じカケロマ秋徳。
秋徳では、家も斜め向かいだったという^^
そう、母親同士も幼なじみだった♪
うちは、固定電話がつくのが早かった。
祖母が同居だったからかもしれない。
(窓口みたいな感じ)
奄美からの電話は、うちにかかってくる。
家の中では、シマの言葉を使う
奄美からの電話の時も、シマの言葉。
家の中では…
シマッチュだけの時は、シマの言葉。
そう、シマッチュだけの時は。
だから、私は大阪にいながら
異国にいるような感じだった。
他にも書き出しておきたい事が
沢山あるけど…
ここは、大阪なのに
なんで… なんで…
と、
わからないことも
沢山かかえながら、
私は、幼少期を過ごした感じかなぁ…
という事で、
あとね、
酒に溺れる人や そうだね
やくざにボコボコにされたり
警察に
連れられて行く…シマッチュ
それって、なぜかというと…
などなど
一旦、つづく
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